芸能界デビュー40周年を迎え、現在も俳優、歌手として活躍を続ける浅香唯さんは宮崎市出身。この秋も記念コンサートの真っ最中です。近年は、宮崎を舞台に宮崎で制作された地域ドラマに出演するなど、地元愛はますます大きくなっているようです。浅香唯さんに、宮崎での思い出やおすすめの観光情報を教えていただきました。
中学生まで宮崎市で過ごされたそうですね。子どものころの思い出、どんなことを覚えていますか?
今からもう40年前になります。15歳までは宮崎市で暮らしていました。
自宅は「平和台」の近くにあったのですが、毎日のように遊びに行っていましたね。平和台には「平和の塔」があって、その塔に行くまでにすごく長い階段を上らないといけないんですけど、子どもの時はじゃんけんをして、「チョコレート」とか、「グリコ」とか言いながら階段を昇り降りする、そんな遊びに夢中になっていました。大人になってからも何度か訪れていますが、子どもの時以上に、こんなに階段が長かったかな?と思います。
娘を連れて行ったこともあります。自分が子どものころに遊んでいた場所に一緒に行くのは、ちょっと不思議な感じがしましたね。
大人になって宮崎に戻ってきた時に、印象に残っている出来事や場所はありますか?
大人になってからは、仕事で帰ってくることが多いですね。「まつり宮崎」という夏祭りが大淀川の河川敷であったんですけど、このお祭りのステージに出演したことはよく覚えています。子どものころに見ていたものや触れていたものに、仕事をする立場になってから出演することができたのは、やはり感慨深いというか、嬉しかったですね。お祭りは、今も続いているんですか?
河川敷でのステージ、盛り上がっていましたよね。今は場所や季節を変えて、宮崎駅前周辺で行われています。 記憶に残っていた宮崎と今の宮崎、変わったなと思う部分は?
昔から観光地で、新婚旅行でものすごい数の方々がお見えになっていたにも関わらず、ちょっと控えめな観光地という印象でした。でも今は大きく変わったなと思います。
私が宮崎を離れてから、例えば肉巻きおにぎりが流行ったり、辛麺が流行ったり、今は餃子が全国区になっていますよね。宮崎の位置も、今は「九州のココ」とちゃんと皆さんに覚えてもらっていると思います。
食べ物の名前がいくつか挙がりましたが、宮崎に帰ったら、一番に何を食べますか?
私はもう100%、チキン南蛮は絶対に時間を取ってもらって食べに行きます。
私が行くのは、子どものころから行っていたチキン南蛮発祥の店「おぐら」の、しかも瀬頭店と決めています。私にとってはお袋の味のような料理です。子どものころから、誕生日もお祝い事も、何かというと家族でチキン南蛮を食べに行っていました。もちろんほかにもいろんな料理があるんですけど、私は必ずチキン南蛮を注文するほど大好きです。
おいしいのは当然なんですけど、昔ながらのこれぞレストランという雰囲気を、何十年も変えることなく続けられていて。そのお店の雰囲気も含めて、ホッとする味、宮崎に帰ってきたなと思える味です。
私の母はとても料理上手なのですが、それでもチキン南蛮だけは「おぐら瀬頭店」が一番ですね。
チキン南蛮愛を感じます。ほかにオススメしたい宮崎名物は?
「ミカエル堂」というパン屋さんの「ジャリパン」です。これも子どものころからずっと食べていて、大人になってからは、宮崎から東京に帰る当日の朝、工場に寄って出来立てのパンを何十本と買って帰ったこともあります。ご近所やスタッフに配る時には、まずなぜジャリパンというのかを説明します。「挟んであるクリームがジャリジャリして、その食感を楽しむのよ」と伝えてから食べもらうと、みんな「ほかにはないパンだね」と喜んでくれます。
一時、お店を畳まれてしばらく食べられなくなったことがあるんですけど、私が後を継ぎたいと考えたほど、なくなるのは本当に悲しかったです。幸い、後を継ぐ方がいらっしゃって、その味が受け継がれています。宮崎のジャリパンは、文化、歴史であり、ずっと残してほしいなと思います。
ほかに、「すし貴」の「レタス巻き」も大切な味です。子どものころは野菜を食べるのは後回しにしがちですよね。お寿司屋さんなのですが、ここではいつも「レタス巻き」を食べて、ちゃんと野菜を食べたなと満足していました。お寿司で野菜を食べられるというのが画期的でしたね。
宮崎に帰ってきたら行きたい場所はありますか?
宮崎といえば、やはり海ですね。海の色はほかでは見られない本当にキレイな青色をしています。
子どもが小さい時にも、宮崎に帰ってきたら一ツ葉海岸や青島によく行きました。近くにはマンゴージュースやマンゴーソフトクリームが楽しめるお店もあって、子どもは大喜びでした。マンゴーも「こんなに贅沢に!」と驚いていました。味はもちろん、南国にいるという雰囲気もプラスされて、さらにおいしく感じるんですよね。東京で食べるのともまた味が違う気がします。
思い出深い場所といえば、今はなくなってしまいましたが、日南市にあった「サボテン公園」も挙げたいです。レストランではなんと、サボテンステーキもあって、衝撃的だった記憶があります。
宮崎を離れて長くなりますが、宮崎弁が出ることはありますか?
今も油断すると、すぐに宮崎弁が出ますよ。宮崎は15年、東京に40年もいるのに、いまだに宮崎弁の方がテンポよくしゃべれるんです。父や母と話す時はもちろんですが、夫や子どもと話す時も出ますね。子どももよく宮崎弁を使うんです。「からう(背負う)」とか「のさん(つらい)」「しんきな(イライラする)」とか。
今でも日常的に宮崎がそばにあるんですね。離れたからこそ感じる宮崎のよさは?
のんびりしていることかなぁ。宮崎では“日向時間”という言葉があって、時間に対してアバウトだけれど、みんながそれを受け入れているゆるっとした雰囲気があります。そんなところで生まれ育ったからか、東京に出てきてすぐのころは疲れました。1分1秒の時間に正確に動くので、待ち合わせをしても相手を待たせないように早く行き過ぎてしまうこともありました。宮崎では待って当然、待たれて当然、待つ時間も楽しめるなと思っていました。宮崎で流れる独特の時間というのはすごく感じますね。
宮崎を観光する方がより楽しめるアドバイスをお願いします。
宮崎は都会のようにどこにでも電車や地下鉄で、ということはできないのですが、移動手段に苦労するかと思いきや、バスにしてもタクシーにしても、意外と便利に活用できると感じています。タクシーで観光地めぐりをした時に、運転手さんが心を尽くして案内をしてくださったんです。その時にこういう旅の楽しみ方もあるんだなと新鮮でした。人とのふれあい、温かみを感じる旅も楽しんでもらえればいいなと思います。
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